都内から船で24時間。東京から約1,000km離れた太平洋上にある小笠原諸島の父島は、約200年にわたり日本と外国との間で翻弄された島です。

島の中では様々な民族が入り交じり、父島ならではの文化が形成され、島のいたるところに歴史の片鱗が見られます。現在は戦争時の遺構豊かな自然に惹かれ、観光にやってくる人もたくさんいるんです。

日本人ならなんとなく知っている“小笠原”。しかし外国ではまだまだ知られていないのが実情です。島では外国人の観光客にも来てほしい!という想いから、「訪日外国人向けロングステイ推進プログラム」というプロジェクトが始動しています。

今回はそんな父島へ、編集部のゆかりごはんが訪島。その歴史を紐解くとともに、戦跡巡りや、現在の父島でプロジェクトに挑む移住者の方へインタビューを行いました。

父島ってどんな島?

出典:小笠原諸島地図

小笠原諸島は大小さまざまな島で成り立っており、その多くは無人島。父島は数少ない有人島の一つです。

かつて小笠原諸島は「無人(ぶにん)の島」と呼ばれており、その名残から、英語圏では総称して“ボニンアイランド(Bonin Islands)”と呼ばれています。

他では見られない青く澄んだ海は、その美しさから“ボニンブルー”と称されるほど。ここにしかいない動植物も多数見られる豊かな自然は、2011年に世界自然遺産にも登録されました。

現在はそんな島の魅力を“宝物”とともにもっと広めていこうと、東京都が取り組む「東京宝島事業」役場、観光協会などが協力しながら魅力発信を進めています。

東京宝島」とは?

東京都の南に位置する11の有人離島(大島、利島、新島、式根島、神津島、三宅島、御蔵島、八丈島、青ヶ島、父島、母島)の総称。これらの島々には、豊かな自然景観や海洋資源、特産品、歴史・文化などの“宝物”が数多く存在しています。東京都ではこうした“宝物”や隠れた魅力を掘り起こし、一層磨きをかけ、広く発信していくことで、島のブランド化に向けて取り組んでいます。 

日本の他の離島とは一味違い、小笠原諸島は外国との様々な関わりの中で形成されていった島です。そのため、日本だけど日本ではない…そう感じさせる独特の雰囲気が漂う場所なんです。

専門家に聞いた!小笠原諸島と外国との関わり

複雑な小笠原諸島の歴史。そもそもなんで、その歴史に外国人が密に関わるようになったのか?など様々な疑問が浮かびます。

そこで、チューリッヒで小笠原諸島について研究している、スイス人歴史家のJonas Rüegg(ヨナス・ルエグ)さんにレクチャーしていただきました。

自身もその魅力にひかれ、小笠原ファンとして定期的に来島しているというヨナスさん。ざっくりと年表で小笠原の歴史を振り返りつつ、島の成り立ちについてお話ししていただきました。


画像提供:Jonas Rüeggさん

Jonas Rüegg(ヨナス・ルエグ)さん

チューリッヒ大学で海洋と環境の歴史を専門とし、太平洋世界の一部としての東アジアの海洋に幅広く焦点を当て研究。2014年に卒業。
2016年にハーバード大学、その後大学院を経て、現在も東アジアの歴史家として様々な角度から研究を続けている。
小笠原のことを知ったきっかけは、学部生の時に世界地図でたまたま日本の下に小笠原諸島があるのを発見したから。実際現地に赴き、小笠原には仕事やバカンスなどで定期的に足を運んでいる。

https://www.jonasruegg.com/

小笠原諸島 ざっくり歴史年表
1593年 小笠原貞頼が初めて小笠原諸島を発見。
1830年 欧米人や太平洋諸島民が定住するようになる。
1862年 幕府から外国奉行として水野忠徳一行を乗せた船・咸臨丸が派遣され、日本の領有宣言がなされる。
1941年 太平洋戦争が勃発。
1944年 太平洋戦争により島民6,886人が強制疎開を命じられる。小笠原諸島の一部の島はこの時から現在まで無人島になることに。
1945年 日本の降伏文書調印により、太平洋戦争が終結。小笠原諸島は米軍の占領下におかれる。
1968年 小笠原諸島が日本に返還される。
1979年 小笠原諸島で村政が確立し、戦後復興から離島振興へと発展。
2011年 魅力的な自然を生かしたツーリズムが台頭。世界自然遺産にも登録される。

――ヨナスさんはひょんなことから小笠原に興味を持ったんですよね。さっそくですが、その歴史についてお聞かせいただきたいです。

小笠原は外国との関わりの中で様々な歴史があった島で、“今でもその歴史が生きている場所”です。その中心となるのが、小笠原諸島の周辺に渦巻く黒潮。1862年、幕府が外国奉行の水野忠徳を乗せた蒸気船・咸臨丸(かんりんまる)を父島と母島に派遣し、領有宣言をして開拓を始めました。

島周辺の黒潮のおかげでクジラが多く生息していた小笠原には、その後たくさんの西洋人捕鯨者がやってきます。

イギリスやアメリカの捕鯨船が労働力として人を受け入れており、そこに西アフリカ・カーボベルデという小さな島国出身のJohn Bravo(ジョン・ブラボー)という人物が参加しました。当時は船旅の最中、病気などにかかった人間は小笠原で降ろされており、彼もその一人になります。

小笠原の島民には、大体このような背景がありますね。そこから数十年にわたり、子供が生まれたりして徐々に人口が増加し、島国が形成されていきます

▲オンライン取材の様子

その後、明治時代(1868~1912年)には新しく“市民”という概念が生まれ、初めて外国人を“帰化”する試みが小笠原で行われました。外国籍の人は外国の裁判権の下にあるという原則により、多くの外国人の在留が日本政府にとって困難だったためです。

帝国時代(1870年代半ば~1914年)に入ると、小笠原は日本と南洋を繋ぐ寄港地として栄え、多様な人々がやってきて文化的な影響を及ぼしました。小笠原には南洋踊りというものが伝承されているんですが、考えてみれば、「日本と太平洋をつなぐ」という当時の小笠原の役割を起源としているように思います。

――太平洋戦争も含めて、小笠原は様々な文化に揉まれながら形成されていった島なんですね。ちなみに、ヨナスさん個人が小笠原に魅力を感じるのはどんなところですか?

僕が父島で1番好きなのは、“日本での日本以外としての文化的アイデンティティがある”という点です。特に米軍占領下の時代に育った今のお年寄りの方は、全然違うアイデンティティを持っていると感じます。英語も話しますし、やっぱりそういう特徴が小笠原を特別な場所にしていると思います。

――やはり、“日本だけど日本とはまた違った場所”という感覚が魅力なんですね。ありがとうございました!

父島の歴史をたどろう!父島×外国を学べるスポット

父島には、1941~1945年の太平洋戦争によって誕生した戦跡が残っています。歴史を知り、こうしたスポットを巡ると、かつての日本と外国の激しい関係性をより実感できると思います。

ここでは、そんな父島の歴史を感じられるスポットをいくつかご紹介していきます。

聖ジョージ教会

「聖ジョージ教会」は父島の街中に突如現れる教会。キリスト教派である日本聖公会と英国聖公会の援助によって、1909年に創立されました。

こちらの教会、実は1941~1945年にかけて勃発した太平洋戦争時に一度焼失しており、今経っているのはアメリカ統治時代に再建されたもの

1968年に小笠原が日本の領土として返還されてからは、島の欧米系島民を中心に親しまれているそうです。平和を願う教会として、現在も中で礼拝などが行われているようです。

大神山神社

ここは「大神山(おおかみやま)神社」です。祭られているのは、国土安泰、開運、勝運、福徳の御利益がある天照大神(あまてらすおおみかみ)

1593年、徳川家康の命を受けて太平洋を探検していた小笠原貞頼によってこの島が発見され、その時に「大日本天照皇大神宮の地」として標柱が建てられたのが由来です。

社殿は1675年に創建されましたが、こちらも太平洋戦争末期に一度焼け落ちています。小笠原諸島が日本へ返還された際に、疎開先から戻ってきた島民たちから再建を願う声が上がり、1979年に現在の社殿が完成しました。

▲展望台までの道中。景色とともに「おがさわら丸」も望める
▲「ヒメツバキの谷」の様子

神社は山の上の大神山公園内にあり、敷地内には複数の展望台やマイナスイオン全開の「ヒメツバキの谷」などもあります。父島の中心街から神社に直接続く大階段もありますが、参拝ついでに自然を堪能するならこちらも寄ってみるのがおすすめです。

咸臨丸墓地

「咸臨丸(かんりんまる)墓地」は、小笠原諸島に漂流し亡くなった人々の霊を慰めるための墓地であり、史跡です。

ヨナスさんのお話にも出てきましたが、咸臨丸とは、1862年に小笠原島の調査・開拓のために江戸幕府から派遣された水野忠徳一行を乗せた軍艦で、その中で乗組員が亡くなったといいます。

翌年には八丈島から移民を乗せた軍艦・朝陽丸で「漂流者冥福碑」を運び、小笠原が日本の領土であるという証拠の意味も込めてこの地に建てられました。

綺麗なお花が供えられていて、地元でも大切に供養されていることがわかります。

戦没者やすらぎの郷

スポーツ施設「奥村運動場」の隣にひっそりとある「戦没者やすらぎの郷」。ここには、小笠原諸島戦没者の追悼碑と、「平和の鐘」があります。

これらは太平洋戦争時に国土防衛のため小笠原とその周辺海域で戦死した2万4000余りの命を弔うため、民間人の寄付金によって1994年に建てられました

両脇の石碑には戦争への苦々しい想いが綴られ、当時を全く知らない私でもその痛烈さに胸をぎゅっと締め付けられる感覚を覚えました。

父島にはキラキラしたスポットもたくさんありますが、この追悼碑には島民の「島の歴史を知ってほしい」という想いも込められているのです。

「平和の鐘」は自分の手で鳴らすこともできます。みなさんも「戦没者やすらぎの郷」にぜひ一度立ち寄って、島の歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

初寝浦展望台付近 旧日本軍の通信所跡

父島の中でも特に戦跡が多く残っている夜明山。そこにある「初寝浦展望台」へ続く林道沿いには、旧日本軍の通信所跡が残っています。

ここだけ時が止まったかのような圧倒的な存在感。立ち入り禁止ですが、中をのぞくことはできます。

コンクリートと鉄の重厚な造りが、ここが重要な拠点であったことを物語っていますね。崩れ落ちた2階の床に、剥がれ落ちた天井…この空間だけ、やたらと空気が冷たく感じます

この建物のあちこちに、銃撃されたような跡をいくつか見ることができました。他とは一線を画す物々しい雰囲気は、悲惨な歴史を体に直接訴えかけてくるようです。

通信所跡へと続く林道の手前には、なんと首を切り取られた二宮尊徳像が…!1944年の強制疎開当時、旧日本軍が当時の大村尋常高等小学校から移設してきたんだそうです。

首がないのは、1968年の小笠原返還以前に駐留していたアメリカ兵士が首を切り取って持ち帰ったから。近づくのも少し怖いですが、こちらも戦時の片鱗を目の当たりにできる遺物です。

座礁船 濱江丸(ひんこうまる)

父島の中心街から都道240号線を南下していく途中にある「境浦海岸」沿いには、座礁船「濱江丸」が眠っています

軍用物資の輸送船として運航していましたが、1944年6月に本土からサイパン島に向けての航海中、アメリカ機動部隊からの攻撃を受けました。

その時点では沈没まで至りませんでしたが、約1か月後に父島近海にて再度爆撃を受け、現在の位置に座礁したといわれています。

一見錆びの塊のようですが、目を凝らせば船の輪郭がうっすらと確認できます。青い海に浮かぶ茶色く朽ちた船。物憂げなその姿に、思わずしんみりしてしまいます。

外国人を呼び込むプロジェクトとは?移住者の海さん・Ludyさんにインタビュー

ここまで父島の歴史と戦跡を紹介してきました。これでもまだほんの一部ですが、小笠原を取り巻く複雑な歴史を感じていただけたかと思います。

かつてはアメリカ占領下だったり、返還されて日本の領土になったりと、様々な環境を乗り越えて発展してきたのが今の小笠原諸島なんです。

父島では現在、海外の人にももっと小笠原を知ってほしい!観光に来てほしい!「訪日外国人向けロングステイ推進プログラム」が進行しています。

▲中林海さん(写真左)、Ludyさん(写真右)

今回はこのプロジェクトに取り組む「シェアハウス海」のオーナー・中林海さんをインタビュー。また、小笠原に移住して10年というLudyさんにもご協力いただき、島のお話も伺いました。

お二人は、先ほど小笠原諸島の成り立ちをご紹介くださったJonasさんともお友達。プロジェクトについてだけでなく、移住者の二人が考える父島の魅力などもお届けします。

中林海さん

ヨーロッパ出身。2015年、父島に移住。2017年に「シェアハウス海」を開業し、単身で運営している。多言語話者であるという特徴から、国内外問わず宿泊者が訪れるようになる。
「訪日外国人向けロングステイ推進プログラム」では中心となり、日本に住む外国人観光客を父島に呼び込みたいと様々な取り組みを行っている。

シェアハウス海

Ludovico Sforzaさん

東京都出身。2012年、父島に移住し、2016年にフリーペーパー「ORB(オーブ)」を創刊。小笠原の日常で生まれる様々な視点を、独創的な内容で伝えている。
父島のカフェや宿のほか、中目黒にある「ONLY FREE PAPER」でも入手可能。

FREE PAPER ORB Imstagram

移住先に父島を選んだきっかけ

――海さんはヨーロッパ出身、Ludyさんは都内のご出身なんですよね?海外経験も豊富と伺いました。

海さん:私はドイツと日本のハーフなんですけど、長く住んできたのはベルギーです。日本で生まれてすぐヨーロッパに帰ってそこで育ってきて、大学卒業後に日本に来ました。

Ludyさん:僕は日本で生まれて、高校時代くらいまで東京に住んでいました。高校生になる頃スイスに引っ越して、卒業してから東京に戻ってきて、ここに引っ越すまでずっと東京にいました。

――移住する先として、なぜ父島を選んだんですか?

Ludyさん:僕は20年以上東京にいた中で、とにかく東京はもういいなという気持ちがあり、違う場所に行って、新しい生活を体験してみたいと思っていた。そう考えていたタイミングでたまたま小笠原に旅行で来て、すごくよかったんですよ。週1回、24時間かけないと来られない、小笠原以上に極端な場所はないなあと思って、単純におもしろいかもな、とりあえずやってみようという気持ちで来ました。

海さん:私はLudyさんとはちょっと違って…。15、16歳の時、ダイビングにハマってずっとやってきました。大学卒業後は日本でダイビングの仕事をできたらいいなと思って探してみたら、沖縄と小笠原が出てきたんです。沖縄は聞いたことがあって、小笠原は聞いたことなかったんで、じゃあ知らない小笠原に行ってみましょうというノープランで来ちゃいました。島のことを何も知らずに来てしまったんですよね。

――二人とも「知らないからいってみよう」っていう思い切りの良さが似てる気がしますね。

海さん:あんまり考えてなかった(笑)。島は気に入ったので、色々な仕事について、そこで色んな人と会って、シェアハウスはもうちょっと後(2017年)からでしたね。

住んで変わった小笠原の印象と島の魅力

――移住する前と後で、父島への印象って変わりましたか?

Ludyさん:僕はだいぶ変わりましたね。最初に来た頃はとにかくココでやっていけるように頑張るっていう、それだけだったんで。移住して10年経つとコミュニティ内の自分のポジションがはっきりしてきて、関わりも増えますしね。するとそれまで考えなかった視点が出てきた。小笠原も他の土地と同じように、より多くの人に訪れてもらい、より良い場所にしていくための課題があるので、それはこっちに来た時に持ってなかったですね。

Ludyさん:父島が返還されて50年以上経つんです。それまでここはアメリカで、急にまた日本に戻って、また新しく始めなきゃいけないわけじゃないですか。その中でもともと小笠原の島民だった人たちが戻ってきて、内地からも人が入ってきて、元々住んでいる島民たちと全員でこの50年間で色々築き上げたと思うんですよね。そのおかげで今の小笠原があり、新しく来た我々はここにいられる。それはもう間違いない。それはこの島のすごいところだと思います。

――島のみなさんパワフルですもんね。

Ludyさん:なかなかできないことだと思います。だから、それを続けていくことがたぶん大事なのかなって思いますね。

――築き上げてもらったものを若い人が受け継いでいくっていうサイクルができていくと良いですよね。父島の魅力、という点ではいかがですか?

海さん:自然と一緒に生きるライフスタイルとか、あとは時間がゆっくりしているっていうのが魅力かな。東京のコンクリートが嫌になっちゃった人とか、ちょっと違うライフスタイルを試してみたい人にすごく向いていると思います。見ようと思えば毎日サンセットとか日の出も見られるんですよ。家族がいれば、自然の中で子どもを育てるっていうのもすごくメリットがあると思います。

海さん:私は仕事より自分の趣味とライフスタイルの方が大事っていう人なので、ダイビングとか海水浴とか、船に乗ってイルカやクジラを見に行ったり、そういう環境に住みたいからここで生きてます。仕事は結構限られてるんですけどね、この島。

――観光業が多いんですよね。

海さん:そうですね、観光業と建設業と公務員…ですかね。この島に住みたいっていう人は、自然の中で生きたいという人が多いと思います。私もヨーロッパや日本の実家にも帰れたんですけど、それでも小笠原に住みたい気持ちが強かったのでここにいます。あと、24時間かけないと行けない場所に住んでいるっていうのが、なんかちょっとおもしろいっていうか…。

――レア感があるっていうか…

海さん:はい、そのレア感がおもしろいと思います。

――ヨナスさんも全く同じことを言っていました。「小笠原はあの遠さが良いんだ!」って(笑)。

“24時間かけないと来られない”のメリットと外国人観光客の過ごし方

▲本土と父島を繋ぐ唯一の大型客船「おがさわら丸」

――「訪日外国人向けロングステイ推進プログラム」って、便利さは関係なく、今のままの小笠原に来てほしいって感じなんですか?

海さん:今の状態で宣伝してます。もちろん「『おがさわら丸』での24時間」っていうのを宣伝に入れてます。“24時間の船に乗らないと行けない場所”っていうと、ちょっとエキゾチックな感じはしますよね。「わ、何だこの場所」ってなるお客さんもいると思うので、そういう人をターゲットにしてますね。

――きっと「24時間の船旅」と聞いて「えぇ…」って思っちゃう人は、そもそもこの島に合わないかもしれないですよね…。

海さん:逆にそれを聞いて「おもしろい!」っていう人も来ると思います。そこで分かれると思いますね。

Ludyさん:だから、島の雰囲気を理解したうえで来てくれる観光客がほとんどです。この”24時間の船だけ”っていうのは、さっき海が言ったように、響きとしてすごく興味をそそられる部分と、訪れる観光客を小笠原に興味のある人たちに自然と制限できるっていうプラス面はあると思います。

――今って外国人のお客さんは少ないんでしょうか?

海さん:コロナで結構減りましたが、ちょこちょこ日本に住んでる外国人の方が来てましたね。ずっとシェアハウスの仕事をしてきた中で、外国人のターゲットマーケットも2つに分かれていると思います。海外から来る外国人と、日本の都内に住んでいる外国人はまたちょっと別なんですよ。

海さん:都内に住んでいる外国人だと、小笠原に来るのは少しハードルが低いですし。海外から来る人はまず日本に来て、もう1回24時間の船っていうのはハードル高いと思います。日本に長年住んでる外国人とか、そういう人を今ターゲットにしたいと思っています。

▲自然の中でゆったりとした時間が流れる父島

――今まで日本から来ていらっしゃった外国人のお客さまは、どこに興味を持って小笠原に来ていたんですか?

海さん:もう自然ですね。ダイビングとか、カメラでいろんな島の周りの自然とか撮りにきたり。あとは歴史が好きな人とか、ノープランで来る人もいます。

――ノープランの人は、とりあえずのんびりしに来る感じなんでしょうか?ザ・バカンスみたいな。

海さん:そうですね、外国人のお客さんでツアーに参加する人は少ないです。私もお客さんから「どこ行けばいい?」ってよく聞かれるんですけど、その情報をもとに自力で回る人が多いです。

“10日間の滞在”による島の可能性と取り組み

――「訪日外国人向けロングステイ推進プログラム」は10日以上の長期滞在がメインですが、“自然と生きる”が体験できるいい機会になりますよね。

Ludyさん:リモートできる仕事ならできると思います。まぁ他の島との違いは、本当にこっち来ちゃったら10日間帰れないってことですよね(笑)。そういうところが刺激的なのかな。

海さん:10日間の滞在はすごく良いと思います。1航海だと、初めて来る人は見るものがたくさんあって、ちょっと少ない。島はできれば2航海が本当におすすめです。難しいんですけどね。2航海あったら、1泊2日で母島にも行って帰ってこられるので、父島も母島も回れていいと思います。

海さん:島の天気がちょっと悪くなる時もあって、それで1航海で来た人がいると「あぁ…初めての小笠原がこうなっちゃったな」って思います。そういう経験で帰ってほしくないので、できるだけ2航海がおすすめですね。

※〇航海=内地と父島をつなぐ「おがさわら丸」の往復を単位とする旅行日程の呼称。おがさわら丸は父島で3泊するので、1航海だと4日間、2航海だと10日程度の滞在が標準的(ハイシーズンはこの限りではない)

――10日間滞在してくれる外国人の方が増えたら、島の中で変化することはあると思いますか?

Ludyさん:外国人観光客の滞在の仕方は、一般的な日本のものとは結構違う。さっき言ったようにもっとゆっくり、詰め詰めでツアーに参加してではなくて。島では一般的に、ツアーの組み方も6日間ぎっしり入れて、ツアーのタイプも海か山かに大まかに分かれるんですけど。

Ludyさん:それが10日間いるのであれば、滞在の仕方も変わるだろうし、この島の観光業者にとっても、新しく色々展開していくためのきっかけになっていくと思うんですよねもっと新しい視点のツアーとか、新しい滞在の仕方を宿の人たちが考えたりとか。そういった活性化に、もしかしたらなるのかなと思いますね。

――島の滞在が今後もっとブラッシュアップされていくかもしれないということですね。

Ludyさん:そうですね。今すでに出来上がっているモノの上にもっとバリエーションができて、できたら日本人の観光客にも興味を持ってもらって、もっと広がる可能性はあると思いますね。島を紹介するときのバリエーションがあると、この島の深みが伝わると思いますし

海さん:父島がもっと海外に知られるきっかけになるっていうのも、ひとつメリットになると思いますね。今だと小笠原は日本国内ではすごく知られてるんですけど、海外ではあまり知られてないっていう…YouTuberとかブロガーの人が綺麗な映像や写真をネットにアップしてくれたりして、色んな人が海外から見てくれたらいいなって思います。

海さん:見てくれた人が「私も経験したい」って思って来てくれたら嬉しいです。今はインターネットの世界が大事なので。たとえば「シェアハウス海」が雑誌とかブログに載って、それを見て来てくれる方もときどきいます。発信する場を増やすほどチャンスが多くなるので、どんどん発信して(笑)。

▲海さんが運営する「シェアハウス海」

海さん:あと、中心街に「PAT INN」っていうホテルがあるんですけど、そこの人と一緒にプロジェクトを進めることもあります。ときどきMTGしたり、「おがさわら丸」の関係者の方とも知り合いで、10日間ステイして、「おがさわら丸」もそれに合わせたプランができないかって話しています。あとはプロジェクトに参画している宿がボランティアのツアーとかやってあげたり…最近はそういうのも考えてますね。

――色々な企画が絶賛進行中なんですね!

海さん:はい。ほかにも、「島をどうやってもっといい場所にできるか」っていうプロジェクトをやっています。それで最近、宿のこうもり亭」で電気バイクを2台買って、海外のインフルエンサーがそれに乗って、エコな感じで島を体験するっていうのをやってみました。

――海外の方はエコへの意識が高いからってことですよね。

海さん:そうですね、あとはこの島をもうちょっとサステナブルにしたいという想いでもやってます。でもまだすごく小さいプロジェクトなので、これが成功すればもうちょっと大きいプランが何かできないかなと考えてますね。

――今後新しい企画ができる可能性はあるんですか?

海さん:はい。今回は1年か2年くらいかけて一つのプロジェクトをやる計画なんですけど、それが終わったら次のプロジェクトを展開するかもしれないです。前の年にアイデアとかやりたいことがあったら、それを来年できるかなって話し合って、そこで決めていく感じで。

――ここで聞かせていただいた以外にも、これからおもしろそうな企画がたくさん出てきそうですね…!父島とプログラムの今後が楽しみです!

まとめ

▲父島から内地へ帰る日、島民の方々の熱烈なお見送りが

今回、父島に来てみて感じたのは、自然の美しさや歴史の奥深さだけでなく、島民の方々の土地に対する愛情でした。

インタビューさせていただいた海さん・Ludyさんはもちろん、宿の方や飲食店の方々…少し話しただけでも優しさとパワーがにじみ出ていて、日常で失われていたものが息を吹き返すような感覚がしたんです。

こんなに素敵な場所なのに、まだ外国で知ってもらえてないなんて確かにもったいない!からの発展を遂げた小笠原が、「訪日外国人向けロングステイ推進プログラム」によってまたどう変わっていくのか。その将来がとても楽しみですね!

この記事を読んでくれたみなさん、ぜひ一度父島に行ってみてください。その時はぜひ1航海ではなく2航海で!

 

父島から船で2時間の隣島、母島についても紹介しています。小笠原諸島に興味が出てきたあなた!ぜひこちらも読んでみてください。

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〈執筆・編集:ゆかりごはん/撮影:ゆうこば〉

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