2015年大河ドラマ『花燃ゆ』で話題となった吉田松陰。そして、その吉田松陰が眠る東京の松陰神社。松陰神社は幕末の教育者であり思想家である吉田松陰を祀っています。
今回はそんな松陰神社を東京ルッチの中で『一番の神社仏閣好き』、『一番の歴史好き』、『幕末に生まれたかった男』のデートマンが魅力をご紹介します。
松陰神社の簡単な説明
まずは松陰神社のご紹介。松陰神社は吉田松陰の属する藩であった、長州毛利藩の江戸別邸の傍近くのこの土地に、吉田松陰の門下生であった高杉晋作・伊藤博文らが、小塚原回向院(こづかはらえこういん)にあった吉田松陰の墓を埋葬しなおし、更に明治の世になって弟子たちが社を建立して、その霊を祀った事により誕生した神社です。
昭和の初めに社殿は大修理され、府社(ふしゃ)に昇格。吉田松陰が営んでいた松下村塾が、後の多くの偉人を排出した偉業から、学問向上のご利益があるとされ、多くの信仰を集めています。ちなみに、松陰神社はここと吉田松陰の生家があった萩との2か所にあります。
吉田松陰先生
ふと、思ったのですが、吉田松陰はご存知ですよね?ここで『?』だったら、この先、全く興味なくなると思うので、ざっくりとご紹介しておきましょう~!
吉田松陰とは幕末期の尊王論者です。長州藩(今の山口県)の下級武士の家に生まれ、長崎に留学後、江戸に出て佐久間象山に学び、海外の事情に目を向けるようになりました。象山のすすめで海外渡航を企て、下田(今の静岡県)でペリーの艦隊に乗りこもうとして失敗(1854年)、萩(今の山口県)の牢獄につながれました。
のち、許されてから松下村塾を開き、子弟の教育にあたり、尊王攘夷論を熱心に説きました。しかし、幕政批判を強めた為、大老井伊直弼による『安政の大獄』につらなり、江戸小塚原(今の東京都荒川区)で刑死しました。松陰の塾からは、高杉晋作・伊藤博文・山県有朋など、幕末から明治にかけて活躍する人々が多数出ています。
また、松蔭を死罪に追いやった江戸幕府の大老・井伊直弼が眠っているのが豪徳寺です。何の因果か、この二人の墓は徒歩10分ほどのすぐ近くにあるのです。豪徳寺についてはデートマンが以前『豪徳寺は招き猫がいっぱい!一体、招き猫は何匹いるのか?』でご紹介してますのでご覧ください。
それでは境内へ
ここは幕末の激動の時代に魅せられた、幕末好きな人にとっては外す事の出来ない、重要な歴史的意義のある神社です。『お~い!竜馬』を人生のバイブルにしている幕末好きのデートマンには、一つ一つがたまらない場所です。
しばらく歩くと右手に吉田松陰先生の銅像を発見。黙祷しました。
※黙祷してたら周りの人に笑われました(笑)。良い子は真似しないように。
御社殿
明治15年(1882年)11月21日、門下の人々によって創建された時は茅葺き屋根の小さな祠だったそうですが、昭和2年から3年にかけて現在の社殿が造営されました。当時の社殿は現在でも本殿の内陣として使われているようです。
昭和7年には府社となり、本格的に神社として整備されることとなります。今では学問の神としてすっかり定着し、初詣や受験シーズンには多くの受験生が合格祈願に訪れます。
幕末の英雄たち
境内には毛利元昭公を始め、先生門下の伊藤博文・山県有朋等の縁故者より奉献された32基の石燈籠があります。
そうそうたる歴史上の偉人たちが名を連ねています。それぞれに寄贈者の名が刻んであるので、自分の知っている歴史的有名人が寄贈した燈篭を探してみてはどうでしょうか。
英雄たちの眠る場所
当時、幕府と対立していた吉田松陰やその門下生達の墓は幕府によって破壊されていました。その為、その仲間たちによって、この場所へとその墓所が集められる事となったそうです。頼三樹三郎、小林民部、来原良蔵、福原乙之進などの墓をこの地に改葬して、この地が幕末の烈士の墓所となりました。
松蔭先生のお墓に通じる鳥居です。しっかり一礼して入って行きましょう~!ちなみにこの鳥居は木戸孝允氏寄贈の鳥居ですよ。
こちらが吉田松陰先生のお墓。そのすぐ脇にあるのは志を同じくして安政の大獄で刑死した小林民部氏、頼三樹三郎氏のお墓です。
そして、松陰先生の墓碑の前には葵紋のついた水盤と燈籠があります。維新後、徳川家から謝罪のため寄進されたモノです。
禁門の変の後、長州征伐を行った幕府により、松陰先生のお墓は破壊されました。平和な明治になり、木戸孝允等の手によって、お墓が修復されたと聞いた徳川氏が謝罪の意を込めて奉納されたものしいです。幕末当時からは想像も出来ない事ですね。きっと、吉田松陰先生もビックリしてるでしょう(笑)。
英雄たちの学び舎
こちらが、松蔭先生が門下生に教えを説いた松下村塾。本神社にあるこの松下村塾は、山口県の萩にある松陰神社境内に保存されている松下村塾を模したものです。この入り口から、吉田松陰先生、高杉晋作・伊藤博文・山県有朋を出入りしてたと思うと興奮します。
案内板には、松下村塾の成り立ち、そして主な塾生たちが紹介されています。
吉田松陰がその門下生達に薫陶を与え、後の時代を動かす長州藩基礎を作ったとされる学問所が松下村塾です。元々は彼の叔父が開いた寺子屋が発端であり、後に引き継いだ吉田松陰によって大きく発展する事になります。
実質、吉田松陰が教えた年月は2年と半年程度の短い期間でしたが、その教えを受けた者の数は90名近くに及んだ。久坂玄瑞・高杉晋作・木戸孝允・山県有朋・品川弥二郎・伊藤博文など、明治維新を通して近代日本の原動力となった多くの逸材を輩出させた事は特に有名です。
お守りもあるよ
吉田松陰先生は学問の神としても尊ばれているので、『合格祈願』のお守りを買いに来てる方が多かったです。
写真右上の絵馬に書かれている『勝』という字は、松陰先生直筆らしいですよ。『松陰』は『勝因』に繋がるという事で非常に縁起が良いとされています。
おまけ
では、最後におまけです。駅から松陰神社に繋がる松陰通りで『松下村塾學び館』というのを見付けました。
こちらでは、吉田松陰先生および松下村塾の塾生・門下生、吉田松陰先生ゆかりの偉人達について学ぶ事の出来る、入場無料の資料館なんです。
運営は『日本ベンチャー大學』という、松下村塾をモデルにした1年制の私塾が行っているらしいです。吉田松陰先生の魂が受け継がれていますね。素晴らしい!
幕末好きのデートマン!1泊ぐらいしたい気分です(笑)。
幕末好きにはたまらない関連書籍がたくさんあります。3泊は出来ますね(笑)。
こちらの資料館にしかない、希少な資料も数多くあります。デートマン、一週間は泊まれます(笑)。
うん?あれっ?
クリアファイル…?スマートフォンもタッチ出来るボールペン…?
何か違うぞ…。やっぱり3泊で良いかな…(笑)。
Tシャツ…?トートバック…?
うん、1泊にしとこう…(笑)。
吉田松陰先生の履歴書…?
2,3時間は充分満喫出来ますよ(笑)!幕末好きな方なら、是非参拝した帰りに立ち寄りましょう!
まとめ
吉田松陰は幕末を描いた歴史ドラマなどでは必ずと言って良い程話題になる人物!その吉田松陰を祀った神社であり、後に日本を動かしていく、彼の教えた塾生達がその想いを込めて建てた神社でもあります。
また、吉田松陰が教えていた松下村塾の写しの建物もあり、その門下生であり、歴史の中で亡くなった同士の墓碑も共に有るという、幕末好きにはたまらない神社です!幕末好きの方、幕末の空気を感じに松陰神社にお出掛けしましょう~!
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名称 | 松陰神社 |
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アクセス | 東急世田谷線松陰神社前駅下車徒歩約3分 |
住所 | 東京都世田谷区若林4-35-1 |