普通の博物館・美術館では刺激を感じなくなった皆さん、東京にはまだまだ刺激的で面白いスポットがありますよ!今回『明治大学博物館には拷問器具がある!?』、『明治大学に拷問博物館がある!?』という噂を聞き付け、東京ルッチで一番拷問に興味がある(←危ない、危ないw)デートマンが潜入して来たのでご紹介したいと思います。
明治大学博物館とは
『明治大学博物館』とは平成16年に創設された、明治大学の付帯施設です。『明治大学博物館』には漆器・染織品・陶磁器などの伝統工芸を総括する展示を扱っている『商品部門』、国内では稀少な拷問や処刑の資料の展示を扱っている『刑事部門』、旧石器時代から古墳時代までの重要資料の展示を扱っている『考古部門』の3部門があり、他には無いユニークな常設展が魅力になっています。
刑事部門
そして、今回ご紹介するのは、3部門の中でも一際異彩を放っている『刑事部門』です。ここ『日本の罪と罰』コーナーでは、前近代における非人道的な拷問・刑罰・処刑具の様子を知ることで、人間尊重の必要性を理解するための反省材料とする事を意図として作られたコーナーです。
まず、こちらは古墳時代の兜です。古墳時代にも兜って存在していたみたいです。とても貴重な資料かと思いきや…
普通に被らせてくれました(笑)。
また『日本の罪と罰』コーナーには『国内の法』のコーナーがあり『御成敗式目』、『公事方(くじかた)御定書』、『高札』などの書物や資料を見学出来ます。写真は歴史の授業でも習った『武家諸法度』です。
こちらはキリシタンを匿うと、匿った本人だけでなく、その親族、その周りの住人まで罰せられるという『高札』です。もし、見付けて幕府に通報するとお金が貰えると書かれているのですが、現在のお金で3500万円以上の懸賞金がかけられていたらしい。今の日本の懸賞金制度では考えられない破格の金額ですね。
江戸時代の警察
江戸時代の警察にも現在の警察の手帳や警棒の様なモノがありました。
捕者三道具
『捕者道具』とは本来、戦国時代等では合戦場で敵の武将を生け捕りにする時に用いられていました。江戸時代に入ると、『罪人を傷つけずに逮捕する道具』として利用されるようになりました。
相手の体を壁などに押し付けるための『突棒(つくぼう)』、腕や後ろひざを攻めて、押さえつけるように使った『刺又(さすまた)』、着物の袖などを巻き取るようにして相手を引き倒した『袖搦(そでがらみ)』は『捕者三道具』と呼ばれていました。
ちなみに『刺又(さすまた)』は現代でも警察で使用されていますね。
江戸時代の『はしご捕り』という犯人を取り押さえる様子が描かれている絵もあります。一人相手に結構な人数で取り押さえるんですね(笑)。
十手の数々
時代劇でよく見る十手も短いモノから長いモノまで多数展示されています。ちなみに十手は警察が持っているもので、武器として使うより、今の警察手帳(身分証明書)のような扱いだったらしい。今の時代劇を見ると、『十手は武器だ!』というイメージがありますよね(笑)。
江戸時代の拷問・刑罰
江戸時代の警察は現在の警察とは違い、取り調べでの拷問で自白を強要していました。この時代には勿論カメラ等がないので、今とは違い、警察は証拠を集めたりせず、本人の自白のみが何より重要だったらしいです。
石抱責
その代表的な拷問の一つが、被疑者のひざの上に一つ約50kgもある石を乗せる『石抱責(いしだきぜめ)』です。
尖った木の上に正座させられて、上に石を積み重ねて行きます…。きっと、無実だった人もこの拷問に耐えかねて、やってもいない罪を被ってしまった人もきっといるんでしょうね…。
軽い刑
軽い刑の場合、自宅監禁のような処罰で終わる刑もあったみたいです。写真は今で言う手錠のような『手鎖』です。この『手鎖』を一定期間付けさせて、自由を奪うという刑です。
また、一定以上の罪を犯した人は入墨を入れられました。地域によって入墨の色や形が違い、罪を重ねると入墨だらけになり、自分の体が前科を物語ってしまうという事です。これは一生消えないものを入れるという恐怖、見せしめの意味も強いようです。
1番エグい刑罰
こちらは『鋸引(のこぎりびき)仕置き』という刑で最も残虐な刑とされていました。首だけが地面から出るように埋められ、鋸(のこぎり)で首を切られる…。
資料によれば、この最も残虐な刑は織田信長が一度だけ執行した事があると記されているみたいです(※スタッフの方に伺いました)。恐るべし織田信長…。
主流の刑罰
こちらは磔の刑で使用された『磔柱』です。この刑が当時は一番主流だったらしいです。娯楽の少ない当時、処刑見物は娯楽の一つとされていました。
磔にされた後、20回から30回槍で突かれる…。今では想像も出来ないですが、ほんの150年前まではこんな事が日本で行われていたんですね。
こちらは『火刑』で使われた『火柱』です。ここに括り付けられて生きたまま火あぶり…。罪人が逃げられない様に竹枠が組んであります。中には女や子供でも容赦なく執行されていたみたいです。
失敗作の刑
これは、現在でも刑罰として残る『絞首刑』です。『絞首刑』は律令国家時代から存在していました。明治時代は写真の様な『絞罪柱』という柱にくくりつけられ、柱の枕木に開けた穴に縄を通し、その先におもりを付けて執行しようとしていた。しかし、この方法では失敗続きで、わずか数年で取り止めになったらしいです。
そして、階段を昇って行って床が抜けるタイプの『確実に死ねる』絞首刑へと変わったのです。
現代の日本の刑法では、死刑は『絞首』と決まっていますが、当時の死刑の執行方法は、罪状に応じて何種類かあり、今から考えると残虐極まりない方法が多用されていました。
地味な刑
個人的には地味だけど、ちょっと嫌だなと思う刑罰もありました。
『首かせ』という刑でこれも見せしめとしての刑罰なんでしょうが、これは何か地味に嫌ですよね…。
海外の刑罰
『海外の刑罰・拷問』では、近代ヨーロッパの処刑器具として名高い『ギロチン』や、伝説上の中世の処刑道具である『ニュルンベルグの鉄の処女』が一際目を引きます。
ギロチン
『ギロチン』は国内では明治大学博物館唯一の展示資料だそうです。罪人が痛みを感じる事がないよう『人道的な』処刑道具として用いられていたギロチン。制度としては、ほんの最近の1981年までフランスでは存在していたらしい。
ニュルンベルグの鉄の処女
この『ニュルンベルグの鉄の処女』のレプリカがあるのは日本でもココだけ!
罪人中にを入れて扉を閉めると内部の釘がぐっさり突き刺さる…。想像しただけでゾッとします…。
しかし、諸説あるらしいですが、スタッフの方に聞いた所、実際はその様な使われ方をした事は無いらしい。本当の『ニュルンベルグの鉄の処女』には中に針は無く、閉じ込めて怖がらせ、市中で晒し者にする『恥辱刑』のようなものであったらしいです。
『ニュルンベルグの鉄の処女』のどアップです。しかし、何でこんな表情にしたんでしょうね…。
まとめ
今回のスポットは気軽に見学しに行くような所では無いとは思いますが、『過去にはこれだけ残酷な刑罰や拷問が行われていた』という事実を知り、法と人権について再度考え直す、良い機会になると思います。日本ではココでしか見て感じる事が出来ないモノだらけなので、是非一度訪れてみて下さい。